『当たり前』にしてはいけないこと

“オメラスってしっているか?”

 私が大好きな俳優の西島秀俊さん主演のMOZUというドラマの中で敵役である長谷川博己さんが西島さんに投げかけたセリフです。この「オメラス」という言葉は劇中のキーワードとして度々登場します。

 「オメラス」とは何ぞや? と思った私は早速検索してみると、アーシュラ・K・ル=グウィンの「風の十二方位」に収録されている「オメラスから歩み去る人々」というSF短編小説が出典ということがわかり、すぐさまamazon kindleで購入し、読んでみました。

 物語の設定として「あるところにオメラスという、平和で豊かで幸せなユートピアがあった。オメラスには飢えも差別も苦しみもない、誰もが羨むとても素晴らしい国なのである。だが、オメラスには一つだけ汚点となるような秘密があった。オメラスの地下牢には、痩せ細り汚物に塗れた一人の子供が、鎖につながれ監禁されているというのだ。そしてこの子供の犠牲こそが、オメラスの平穏を成り立たせている」というものです。この町の住民が幸福を享受できているのは、一人のこどもの犠牲によって成り立っているというのです。

 これって自分たちの普段にも当てはまるのではないかと思いました。

 私たちは、なに不自由なく仕事をしています。でもそれは、誰かのおかげで成り立っているのではないかと...

 例えば、朝、出社すると事務所は開いていて、コーヒーやお茶も用意されいて、それを飲みながらすぐに仕事に取り掛かれます。お昼にはスープが用意されています。仕事に必要な文房具なども常に用意されています。

 一例ですが、私たちはこれらのことを『当たり前』のこととして享受しています。

 でも、これって『当たり前』のことでしょうか。

 飲み物やスープは事務所がお金を出して買って頂いているものです。文房具は業務で必要なものではありますが、それを注文してくれている人がいます。事務所の開店準備も朝イチに来た人がコーヒーを煎れて、お湯を沸かして、事務所を開けて、パソコンを起動してメール・FAXのチェックをしています。

(出社してから仕事を始められるようになりまで20分ほどかかることもあります)

 ちなみに、ある月曜日か木曜日のLINEのやり取りです。 

 「ごめんなさい。今日は出社が8時30分を過ぎてしまいそうです。出社されてますか? ごみ捨ては間に合いますか?」 「大丈夫です。間に合います。」 ごみの集荷が8時半ごろのため、ごみを捨てるためにはそれよりも前に出社している必要があります。

このように事務所や誰かが、『当たり前』という環境づくりために動いてくれています。

(これは事務所や誰かに感謝しなさいということではなく『当たり前』として何も感じなくなるようなことはないようにしましょうということを補足しておきます)

 事務所内のミクロ視点での話になってしまいましたが、この小説の本来のテーマは「最大多数の最大幸福」についてです。多数の利益のために少数を犠牲にすることは是か非か、私たちの普段の生活は誰かの犠牲の上に成り立っているのではないか、改めて考えさせられる内容になっています。SFというたとえ話で考える機会になるため、おススメできる小説だと思います。機会がありましたら是非読んでみてください。